印象的なケースや雑感などを個人情報保護に配慮した形でご紹介します。
木遣り唄が得意だったKさん
Kさんは駅に近い平屋に一人でお住まいでした。
奥様を亡くされ、別居している家族からは手厚く面倒を見てもらっていたようでしたが、自身も不治の病とされる癌に侵されたこともあり生きる意欲をなくされていたようでした。
ケアマネからは環境を変えて元気を取り戻させてあげたいとの強い思いをもって紹介いただきました。
このケアマネはこれまでに紹介いただいた利用者が、このデイサービスでは意外と元気を取り戻すケースを経験されていたので、もしかしてKさんも元気を取り戻せるのではないかと期待をされていました。
当初は食事をほとんどとれていないので、何らかの形で食事をとらせてほしいとのことでした。
最初はあまり食事が進まない雰囲気はありましたが、デイサービスの環境に慣れ、話し相手もできたことから徐々に食欲は回復しました。
これは、利用者の中で気の合う人がいたこともあり、さらにデイサービスの体操やレクリエーションに参加することによって少しずつ元気を取り戻す効果があったようです。
やはり生きる意欲は人とのかかわりあいの中で生まれてくることがよくわかります。
介護を必要とする多くの方は、老夫婦二人きりとなったのちにどちらかが亡くなると、とたんに社会とのつながりがなくなっていることに気付きます。しかし多くの方はそれを取り戻すすべを知らないケースがほとんどです。このような時、デイサービスを利用すると、ほかの利用者と関わることができるし、適当な運動やレクリエーションができるので、生活に活性化がもたらされます。
担当のケアマネは、Kさんの食欲回復と生きる意欲の変化に大変驚くとともにデイサービスに対し感謝の意を表されました。
そうこうしているうちにKさんはもと大工の棟梁として活躍されていたので、祝い事には木遣り唄を得意とされていることを施設長が聞き出したので、デイサービスの行事のたびに披露していただくことにしました。
朗々とした歌声はほかの利用者にも元気を与え、唱和するOさんたち仲間もできました。
お互いに今度の月曜日には彼は来るかとお互いをこころまちにするまでになりました。
このデイサービスでは、近くの複数の保育園との交流をしていました。したがって1年に数回は園児たちが利用者に遊戯を披露し、合唱を聞かせてくれることがありました。遊戯・唱歌のあと園児たちは利用者のじいちゃん・ばあちゃんと個々に交流することもありました。(今は新型コロナのため披露には十分な距離を取って、個別の交流は行っていません)このようなときには利用者は園児たちを自分の孫や曾孫のように感じて、嬉しくて涙を流す方もいるほどでした。
デイサービスでは園児たちの敬老会参加のお返しとして、保育園の行事の際にはKさんやOさんなど数人で木遣り歌を披露させていただくこともありました。その際にはそれこそ大張り切りで保育園に出向いて行って披露されました。
お神輿を作って下さったDさん
Dさんはデイサービスのほど近くにお住まいで、奥様との二人住まいでした。
読売ジャイアンツの王貞治さんが墨田区出身ということもあり、若い時には野球で対戦したこともあったとのことでした。野球選手だったこともあって大柄でがっちりした体形でした。
脳出血がもとで、車いす生活を余儀なくされていました。
17年以上となるこのデイサービスの最初のころのご利用者でした。
男性はややもすると、毎日のスケジュールに沿った、体操やレクリエーションのゲームなどにはなかなか参加してもらえないことが多いものですが、Dさんは穏やかな人柄もあって積極的に参加してくれました。
男性のご利用者が多いデイサービスという触れ込みで男性のご利用者も多く、ご利用者の間で麻雀を楽しんでいましたが、Dさんはそれまで麻雀の経験がなかったにもかかわらず、職員の指導のもとでルールを覚えて麻雀を楽しむまでになりました。
デイサービスでは、毎月のように季節の行事が行われています。このうち夏祭りは1年のうちで一番盛り上がる行事です。
一番の出し物はお神輿で、これを担いで施設内を練り歩きます。利用者全員が交代で神輿を担ぐことができます。
その神輿は段ボールで作られたものですが、段ボールとは見えない見事なもので、軽いこともあり車いすの方も含め全員が順番に担げるものです。
この神輿の設計、製作を担われたのがこのDさんでした。
この神輿は毎年、夏祭りの期間3日間ほど大活躍しています。もう10年以上にもなります。
Dさんは非常に生真面目な方で何事にも真剣に取り組まれ、施設には大変ありがたい方でした。神輿づくりには徹底的に指導いただき本当に見事な仕上がりとなりました。
そこで夏祭りの総代にも何度も就任していただきました。
病気によるものか、楽しさが昂じると感激のあまり涙をながされることもたびたびでありました。
また、ある時奥様から電話があり、「主人がトイレで車椅子への移乗を失敗して自分一人では起こせない」との救助要請がありました。すぐに男性職員を派遣して事なきを得ましたがこのように、デイサービス職員との信頼関係には独特のものが生まれていました。
元気に休まず通われていましたが、病気と老化によるADLの低下は徐々に進み、主治医からは「これ以上進むと透析をしなければならなくなる」との宣告を受けたとのことでしたが、頑張ってそれは回避しされました。しかし徐々にADLが低下していきました。
これに伴って、やがて下肢に浮腫(むくみ)が顕著にみられるようになり、入浴前には摘便(便秘の便を看護師がかきだすこと)を行うようになりました。
その年の暮は、翌年の元旦が通所の曜日に当たっていたので、振替利用で12月31日に通所され入浴をされました。その際には足に浮腫があり、指先は血行不良で白くなっていましたが、入浴時には数分で元に戻ったとの記録が残っています。
翌年施設の営業開始でもある1月3日に通所された際には、足の浮腫は大晦日同様で、血圧が高く、全身的な浮腫が見られました。施設としてはこのような状況を踏まえ「正月の休み明けにケアマネに相談予定」といたしました。
翌日と記憶しますが、奥様から連絡あり、昨夜逝去されたとのことでした。
そして「施設の皆さんに大変お世話になったので、よかったらお別れに顔を見てやってください」との話がありました。そこで業後供花をもってお邪魔しお別れをさせていただきました。
通常高齢者福祉施設では、入所施設で看取りを行う以外、ご利用者の逝去に当たってはお通夜・葬儀には参列しないのが通例ですので、本件はいわば特別の出来事と言っていいでしょう。これはDさんと施設の職員たちとの距離感が大変近かったためと思われます。
先輩のYさん
私は9時に送迎車の運転手とともにYさんの待つ高級マンションに行き、xx号室の呼び鈴を鳴らしました。中から応答があり、ロビーへの扉が開きました。ロビーを横切りエレベータホールに通じる扉の前でもう一度xx号室の呼び鈴を押しましたが、今度は応答がありませんでした。
この高級マンションはセキュリティ重視のため、住戸にたどり着くまで2度の呼び出しが必要になるなど来訪者にはハードルが高いです。幸い住民が出勤や通学のために外出する人の多い時間帯のため、ほどなくエレベータホールに行きxx号室にたどり着きました。そして玄関の呼び鈴を押しました。
なかからYさんが姿を見せましたので、再び「今日はデイサービスの日なので迎えに来ました」と告げ入浴のための荷物を受け取って、Yさんが部屋の鍵を閉めるのを確認し運転手の待つ送迎車に乗り込みました。
Yさんは時には尿意を感じた時に、他に気を取られていると、トイレに間に合わず、漏らしてしまことがあります。対策としてリハビリパンツ(略してリハパン)を使っています。
リハパンは昔の布おむつとは違い、吸水ポリマーが使用されていますので、少々漏らしたくらいではサラサラで使用心地は悪くありません。したがって漏らしてもご本人は不快感を覚えず、そのまま使われていることが多いです。特に男性に多いのですが、夏場には尿臭がきつく、締めきってクーラーをかけている車内では強烈に匂います。
そもそもYさんがデイサービスを使うことになったのは、アルツハイマー型認知症を発症したために介護が必要となり、ご家族の介護労力の軽減のためでした。
認知症は、その原因には種々のものがありますが、一番多いのはYさんのようなアルツハイマー型の認知症で、次いで脳出血や脳梗塞を原因とするものなどです。認知症は以前は痴呆症と呼ばれていました。痴呆とは平たく言えば「バカ」を意味し、侮蔑的ニュアンスが含まれてしまうため、呼称が改められた経緯があります。
多くの認知症の方は、短期記憶(5分前のことを忘れる)に障害を持っています。軽度なうちは短期記憶以外の能力は正常なので、判断力も正常です。記憶でも昔のことは鮮明に覚えていたりします。
短期記憶が障害されると、記憶がブツブツと切れてしまい、先ほどのことと現在のことがつながりません。ですから今は何月何日か、今いるところにはどうして来たのかなどが分からなくなってしまいます。しかしそこが見慣れた場所で、見慣れた人と一緒ならば安心ができます。
昔は平均寿命が短かったので、多くの方は認知症を発症する前に亡くなりました。ですから認知症はそれほど社会問題とはなりませんでした。また、農業が主たる産業だった頃は、短期記憶が失われていても日ごろの仕事や生活に支障を生じる場面は少なく、家族の中で問題なく過ごせていたものと思われます。
しかし経済が高度化し、サラリーマンが普通となり、都市化の中では生活が曜日単位・時間単位となり、一日の生活が時間単位で進むので、短期記憶の喪失は日常生活上では大きな問題となって現れてきます。
また認知症は脳の障害であって、主に老化に伴うものでもありますので、年齢を重ねるごとに徐々に進んでいきます。最初は身体的には問題がなくても、進んでいくごとに身体機能も低下し、最終的には歩行不能になったり、認識機能の低下によって家族の顔が認識できなくなったりします。また食べ物と食べ物でない物の区別がつかなくなって、手が届く範囲のものを口に入れるようになってしまうこともあります。
Yさんの場合、多くの人の認知症の症状と同じく嗅覚が鈍くなっていますので、尿臭を感じられなくなっています。
本人には不快感があるわけではないので、そもそも問題と思っておらず、このような人に「尿臭がきついですよ」などと指摘することは、本人の尊厳を傷つけることになりますので、介護する側の対応は難しくなります。
Yさんの場合は週3回の利用のため、1日おきにデイサービスを利用し、入浴します。
リハパンは先に説明したように機能がよいので、多くの方は自分から取り換えることをしません。Yさんの場合は入浴後に新しいリハパンをはきますが、次の利用日まで2日ないし3日間取り換えないでも本人にとっての不自由感はありません。特に夏場には強烈な臭いになってしまいます。
Yさんのような認知症を患う、一人住まいの利用者は、家族からリハパンの取り換えを促される機会がないので、ほとんど同様の状態であると言ってよいでしょう。
私はYさんの職場の後輩でもあり、前の職場では大変お世話になった経緯がありましたので、デイサービスのご利用者という以上の付き合いを求められることになりました。
したがって時には夕食にお付き合いをしますが、私は後輩なので支払いは勢いYさんがするということになりますが、成り行きにまかせるわけにはいきません。2回に1回はYさんがトイレに行っている間に私が支払いを済ませていました。Yさんはすぐに忘れてしまい、支払いの件が問題になることはありませんでした。
このような日常もYさんの病状の進行とともに変わっていきます。
やがて、認知症の進行で、外出して自宅に帰れなくなることが増え、たびたび警察のお世話になることとなりましたので、ご家族はグループホームへの入所を選択されました。
認知症の方の一人暮らしは大変です。
外出して自宅に帰れなくなるのは、次のような事情だと考えられます。
認知症の場合、一番の問題に短期記憶の喪失があります。
短期記憶を喪失した場合、記憶がブツブツと途切れるので眼前にある場面は子供の時であったり、会社で活躍している時だったりと変化することが多いのです。しかし大部分は現在に近いところにあるので、現在の自宅は認識できていることが普通です。
しかし、飲酒したり、思わぬ事態に遭遇して動揺したりすると、それがきっかけで不意に過去のある場面に戻ってしまったりするのです。すると現在の自宅を目にしても、それが自分の家とは認識できず、ひたすら過去の自宅を探し徘徊することになるのだと推測されます。そして結果的に警察のお世話になります。
このようなことが度重なると、家族としては本人の希望に反しても入所施設を選択ることになるでしょう。結果4年5か月のご利用となりました。
小学校教師だったCさん
Cさんは現役時代、小学校の先生だった方でした。都立アパートの8階に住んでおられますが、ご主人は数年前に亡くなり独居で認知症が進んでいます。週に3回デイサービスに通っておられました。短期記憶にかなりの障害がありますが、歩行、トイレ、食事いずれも自立されていました。
短期記憶に相当の障害があると、外出してもその途中で何のために外出したのかなど忘れてしまいますので、一人での外出は難しいのです(すぐに交番のお世話になってしまいます)。このような場合に家族はケアマネージャーと相談してデイサービスを利用しようということになります。
したがってデイサービスのお迎えも、ご自宅の玄関まで伺って本人が鍵を閉めるのを確認し、一緒に玄関を降りて送迎車に乗って施設にお迎えします。帰りもご自宅まで送り、ご自分の持っておられる鍵で家に入りドアを閉めるまでを見届けてから我々スタッフは引き上げます。
身体は元気なので、1日に4回の体操(お目覚め指体操、昼食前の嚥下体操、レクリエーション前の下肢筋力強化体操、レクリエーション後のストレッチ体操)やレクリエーションのゲームには全部参加されました。口は達者なので、ほかの利用者には先生時代の口調であれこれと指示を出して(それはだめよ
こうしなさいなど)煙たがられていました。
帰りの車では、「家まで送ってくれるの?ありがたいわ。この道は生まれて初めて通るわ」とにぎやかにしゃべっておられました。送迎ルートは毎回ほぼ同じなので初めてということはありませんが、本人は覚えておられないので、毎回新しい道を通っていることになるようでした。
一般的に、認知症になりやすい条件として、生活習慣、食事の偏り、生活習慣病などがあげられます。
多くの利用者の方をお世話させていただいている中で、これは偏見になってしまうかもしれませんが、学校の先生、警察官など、日頃あまり人に気を使わなくてもよい職業の方が認知症になりやすい傾向が感じられます。また、この区に多い職人さんのように、他人と関わることもなく、ひたすら同じものを作り続けていたような人にも認知症は多いように思われます。
したがって、認知症にならないためには、健康に留意してバランスの良い食事をして、適度な運動をし、積極的に人とのコミュニケーションをとることなどが有効ではないかと思われます。
高次機能障害の方の介護
Bさんはまだ40台で脳出血のため半身まひで車椅子利用でした。
家族との折り合いが悪く、現在の状況は親が自分に対して適切に対応しなかったからだと考えていました。いわゆる特定疾患による介護状態ということで、65歳以下ながら介護保険のサービスを受けることができますのでデイサービスを利用されていました。
病気からくる高次機能障害と診断され、いわば認知症と同様の障害を持っていました。認知症と異なるのは、非常に怒りっぽいということでした。したがって過去にもいくつかのデイサービスを利用したのですが、本人の側からの意向か施設側からの意向か、何か所の利用を経てこのデイサービスの利用申し込みとなったようです。どこでも長続きしなかったとのことでした。
このデイサービスからケアマネへの初回利用の報告は以下のようなものでした。
B様初日利用のご報告
いつもお世話になります。
9時40分ごろお迎えに参りました。
到着後、手洗い・うがいの後バイタルを測りました。
バイタルに問題なく11時半ごろ入浴していただきました。それまでは新聞を読んだり、パズルをしていただきました。入浴はご本人と相談のうえリフト浴で対応させていただきました。
食事は全量摂取、体操やレクにも参加していただきましたので、送りは3時ころとなりました。
ご本人の様子を見ながら、時間延長が可能かどうか試させていただきました。
職員からは色々話しかけ、慣れていただけるよう工夫いたしました。
お世話させていただくうえで問題はないように思われます。
帰りの車中では、パズルが面白かったので、次回もぜひ解けるようにがんばってみたいとのことでした。
とりあえず、初日の報告とさせていただきます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
以上
ほかのデイサービスでは長続きしなかったそうですが、こちらのデイサービスではその後5年半の利用となりました。
1日のルーティーンの4種類の体操やレクリエーションの体操にも喜んで参加されていました。
最終的には家庭の事情もあって、施設入所となり、利用は終了しました。
病気からくる症状から、非常に怒りっぽく、かつわがままな行動となることが多かったため、何度もケアマネも含めて本人に約束をしてルール順守を求めましたが、病気の性質からか約束はたびたび破られることとなりました。
このためケアマネ・本人・施設の三者で協議して次の確認事項を取りまとめ各者保持することとし、トラブル発生の度に提示確認して解決を図り、相応の効果を得ました。
B様との約束確認事項
送迎について
送迎は受けられますか? 受けられませんか
送迎を受ける場合には、次のことをお守りください
1. 5分以内の車の遅れは容認していただきます
2. どの運転手も拒否しません
3. 帰り時間は午後3時を守っていただきます
拒否された場合は自己責任において一人で通所・退所していただきます その間の事故は自己責任で願います。
入浴について
入浴されますか? 入浴されませんか
入浴される場合には、次のことをお守りください
1. 入浴介助者の指名はできません
2. どの介助者も拒否しません
拒否した場合は入浴なしとなります
以上
開業当初の忘れられない全盲のご利用者
開業当初はご利用者も少ないため、ご利用者を紹介していただけるケアマネージャー(以下ケアマネ)も新しい施設の力量も試す意味もあり、手がかかる方でも受け入れてもらえると考えて、比較的難しいケースを紹介されることが多いものです。
この方も全盲でもあり送り迎えに工夫を要する方でした。
割合に近いところの長屋のアパートに一人住まいで、お風呂が好きで話し好きでした。楽しみは銭湯に行くことと、なじみの食堂で店主やほかの客と世間話をすることと聞かされていました。たいへん話し好きの方でした。
下町という土地柄もあり、全盲であってもほかの方の助けを借りて銭湯でも入浴できていたようです。
内風呂が普及して銭湯の経営が難しくなったご時世もあり、なじみの銭湯が廃止となったのでデイサービスの利用となりました。
以前は下町でもあり、銭湯の多い地域でしたが、住民の高齢化が進み、デイサービスでの入浴の人が増えたことと、新しい借家も内風呂が普通になったことなどでどこでも銭湯を利用する人が激減しているようでした。行政が高齢者に無料入浴券をだして銭湯経営に支援の手を差し伸べていますが効果は限定的なようです。
デイサービスのご利用者の大きな目的は、入浴と排泄介助、バランスの取れた食事といえます。そのうえほかの人とのコミュニケーションが取れれば言いうことはないでしょう。さらに体操や運動ができればなおさらでしょう。
話し好きなので、職員とはすぐになじんでいかれました。入浴も職員の介助で安全安心な入浴となって満足されました。全盲なのでTVを見ながらの体操はできませんでしたが、食事は大変満足されいつも完食されていました。
「ここに来ると話ができて、笑えてとても楽しい、家に帰ると一人なのでつまらない、淋しい」と言っておられました。
施設では何を提供しても見えないながら満足されていましたが、中でも大変な楽しみは職員が近くの図書館や自宅近くの図書館から借りてきた紙芝居を「聞く」ことでした。
最近は紙芝居をすることが少なくなりましたがこの利用者がいらっしゃる間はお話タイムに紙芝居をすることが多かったように思います。
ある時下着に血痕が見られたので、ケアマネを通じ受診いただき、子宮がんが見つかりました。だんだんと元気がなくなり入院されて利用は中止となりました。
ほどなくケアマネからご逝去の知らせがありました。
天寿を全うされたSさん
Sさんはこのデイサービスからほど近いところに住んでおられました。娘さんが熱心に介護しておられましたが、ご自宅での入浴は難しいためデイサービスを利用しておられました。
90歳を過ぎて高齢のため、体操やレクリエーションには体調の状況によって参加したりしなかったりでした。
透析をしていたので、水分摂取に制限があり、どうしても動きが緩慢となっていましたが、休まず通っていおられました。
本人の意思が強いことと娘さんの勧めに忠実にしたがっていることが、皆勤につながっているものと考えられました。
時がたつに従って、徐々に体力低下が進み、ご家族はこのままデイサービスに通っていけるかとの不安をお持ちでした。施設長にその不安を打ち明けてくださったため「いつまでも介護をさせていただきますよ」とお答えしました。
その後も通ってこられましたが、いつもうつらうつらの状態が続き、食事の摂取量が徐々に減っていきました。
このデイサービスでは、年中無休を標榜しています。開業1年目こそ正月の元旦・2日とも営業しましたが、ご利用者は少なかったです。職員も正月には休みたいとの希望もあるので、翌年からは正月は元旦・2日を休業とし、入浴のために該当の曜日に利用予定の方は12月31日もしくは1月3日に振り替え利用していただくことにしました。
年が明けて利用予定日の前日に娘さんから正月明けにSさんが亡くなられたこと、デイサービスのお陰で、自宅で最後まで介護し看送ることができましたとの感謝の気持ちが伝えられました。
やがて、四十九日が過ぎたころ次のような手紙をいたきました。
S様ご家族からの手紙
デイサービスの皆様へ
突然でビックリされたことと思います
2年間 お世話になりありがとうございました
家のお風呂に入れなくなったことで デイサービスさんを利用させていただくことになりましたが 透析をしている父を受け入れていただきありがとうございました。
けが等が多く お手数 ご迷惑をおかけしていましたが いつも スタッフの方々に笑顔で対応 送迎していただきました
一番 うれしかったことは 「最後まで看るからね・・・」といっていただいたことは ありがたく 感動いたしました
介護している私にとって最高の言葉でした
心強く 頑張らなくてはと思いました 「最後まで看るからね」
一生忘れません 本当に最後まで看ていただき 感謝しています
皆様の言葉 対応に助けられ ここまで父を看てこられました
父が一度も デイサービスに行くのを嫌がらなかったのも 元気に92歳まで過ごせたのも デイサービスさんのおかげです
正月1日の夕食を全部食べて寝ました 2日の朝もいつものように
イビキをかいて寝ていて その後 穏やかにベッドの上で亡くなりました
家族も信じられませんでしたが 家で最後を迎えられ 父は幸せです
デイサービスさんに助けていただきました
本当に2年間有難うございました 感謝 感謝 感謝です
お世話になりました
S 娘
(職員コメント:このデイサービスでは、看護師が「看るのは難しくなった」というまではご利用者・家族が通所したいと言われる限り対応しています。最後の利用後のご逝去が当日であったり、翌日・翌々日の例がほかにもいくつかあります。)
大手機械メーカーOBのEさん
ご利用開始当時Eさんは89歳でした。もとは機械関係の大企業に勤めていたそうです。若い時には多趣味で、社交ダンス、卓球、ゲートボール、囲碁など楽しんでいましたが、最近では趣味仲間もなくなったり、趣味ができなくなったりで家に閉じこもりがちになって、歩行も危うくなってきました。
2世帯住宅の家族や遠くに住んでいる娘から、「どこか外出できて趣味が活かせるデイサービスはないか」との要望が出されましたの、ケアマネを通じてこのデイサービスの職員に相談がありました。
このデイサービスは中高年の男性3人で立ち上げた施設でしたので、当初から男性の利用者を対象に「囲碁や将棋、麻雀などができる」ことを売りにしてきました。これはその成果の一つでした。
その結果、男性の利用者が多くなり、ケアマネからの紹介も男性の利用者が多くなりました。
一般にデイサービスなどの介護施設の利用者は女性が多く、女性の利用者が7割・8割という施設も少なくありません。
男性の場合、女性が多いと気後れするのか、利用を忌避する傾向が見られますので、いきおい女性の利用者が多いことになるようです。
私のこれまでの経験から言えることは、女性はすぐに打ち解けて仲間に入っていくのが上手な人が比較的多いのに対して、男性は慣れるまでに時間がかかって、利用に至るには妻の勧めや娘の強い勧めが必要な方が多いように見受けられます。
うがった見方をしますと、男性は社会に出て仕事をして家族を養うなど社会の中心を担っているように一見見えますが、男性優位の社会が確立されていますので、言ってみれば人格形成については過保護状態となっているのではないかと思われます。その点、女性は子育てのため、近所付き合いや、世間知らずが多い教師とのやり取りなど、したたかでないとやっていけないなど、結果的に世間にもまれることが多いのではないでしょうか。
とはいえ、世の中それほど単純ではないので、非常に社交的な男性もいれば、人付き合いの苦手な女性もいるわけですが。
近年女性の社会進出が著しく、女性の地位向上が認められているのですが、女性の社会参画の国際比較では、欧米先進国の後塵を拝しているのはもちろん、アジアの近隣諸国にも引けをとっているようです。
現在の利用者の平均年齢はざっと見て女性85歳、男性80歳くらいとみられますが、男性は入れ替わりが早く、女性は男性に比べると利用期間が長いように感じられます。
また当時は女性の社会進出がまだ珍しい時代でしたので、女性の多くは専業主婦であったために経済力がなく、経済力のある夫の意向に逆らえない生活を余儀なくされた最後の世代ではないかとかとも思われます。
若いときの夫婦関係の話を聞くと「なんと理不尽な 今の若い人なら即離婚だろう」と感じることも多々あるのが正直なところです。
介護の世界に長くかかわってきた知人曰く「男は意固地で手がかかり、わがままだけど逝くときにはコロッと逝く」と言っていましたが、誠に同感と思います。
一方、女性は、極端にやせ細って「骨と皮」状態になってからも利用に通っていただけるケースがあったりして、男性と女性で全く異なる生物のようだと感じます。
出産という難事業をクリアするために、女性にはもともと生理的に強い資質を与えられているのでしょう。
中国で戦ってきたFさん
Fさんは開業当初のご利用者の一人でした。大正8年生まれで昭和15年中国に出征されたとのことでした。翌年、中国で敵と銃撃戦を交わして戦友は戦死され、麦畑を隠れながら逃げ延びたとの話をお聞きしました。
体験からか「麦と兵隊」をおはことされていましたが、なんとはなしに身につまされる歌いぶりでした。
また、関東大震災の際には父親に連れられ布団をかぶって、柄杓で布団に水をかけながら火から逃れたという話をしてくださいました。
自営業をしておられる独身の息子さんとの同居でした。週日は息子さんの仕事を妨げないようにと毎日通われていました。
性格は穏やかで同じテーブルのご利用者との話の中心となることが多かったように思います。
歩行には注意が必要でしたがトイレや食事は自立でした。しかし短期記憶がかなりひどく失われていましたので、トイレに立って席に戻る際には自分の席がわからなくなったことがたびたびでした。
アルコール依存症の方の思い出
認知症とは直接大きな因果関係はありませんが、入所施設でアルコール依存症の方の介護の経験をしたので、紹介します。
Aさんは日本でも一番の高給と言われた金融機関に勤務されていた方でした。奥様が突然亡くなられたため、生きる意欲をなくしたのか、ADL(日常生活動作)が低下し、介護が必要となりました。
キーパーソンである娘さんは自分の家族もあることから同居は難しいため、父親を入所させられたようでした。
娘さんから聞くところによると、現役時代Aさんは朝出勤するときにいつもキュッと1杯お酒をひっかけてから出かけていたとのことでした。娘さんはどこの親もそうするものだと大人になるまで信じておられたとのこと。
奥様が突然いなくなったことで、それまで日常生活のすべてを妻任せにしていたこともあり、一人住まいになってからは勢い外食と日常的な酒浸りとなったようでした。
このデイサービスは、東京23区のいわゆる下町にあるので、ご利用者の多くは自営業者でした。
自営業者の場合、自宅が工場兼住居ということも多く、また息子や娘が家業を継ぐということもあって、同居もしくは近居という形で、家族介護がすんなりと行われているケースが非常に多いようです。
これに反してサラリーマン世帯では、子息が親元を離れると、勤め先は違うし、新しく世帯を構えた場合には親元から離れたところに住むことが普通でしょう。
親の介護が必要になった時にはじめて同居して介護するというのは配偶者への配慮もあってきわめて難しいものです。
典型的なサラリーマン家庭のAさんは、娘が家を出て結婚し孫ができた時には、娘さんとしても一人となってしまった親の様子を頻繁にみるのは難しかったものと思われます。
アルコール依存症から脱するのは大変難しいようです。断酒会に参加したりして努力しても、ちょっとしたきっかけですぐ後戻りしてしまうようです。
Aさんは入所当初はしっかり歩けていましたが、生きる意欲をなくしたのか、半年くらいでみるみるADLが低下し、間もなく亡くなってしまわれました。
アルコール依存症は、どんなことをしてでも酒を飲みたいという欲望が強くて、普通では思いつかないようなことをしてでも、酒を手に入れようとします。
したがってアルコール依存症の治療には、入院など厳格な管理の下で時間をかけることが必要なようです。
カラオケはデイサービスに必須の設備です
O様は、このデイサービスからは少し遠いところにお住まいでした。開設間もないときにはご利用者も少なく、少し遠いところまでお迎えに行く必要がありました。
一般的に施設になじむのに時間がかかる傾向がある男性でもあり、職人だったとのこともあって、なじむのに時間がかかりました。
ある時、都はるみの「アンコ椿は恋の花」が大好きということがわかったので、その後は毎日帰る前にラジカセでこの歌を流して職員とみんなで合唱をして盛り上がりました。
開設当初には職員とご利用者がほぼ同数という時期もあり、それでも一日中忙しい感じでした。しかし不思議なもので、その後ご利用者が増えても忙しさが比例して増えたようには感じられませんでした。
これは、ご利用者のADL状態や行動様式がわかってくると、余計な神経使いや無駄な動きが無くなって、職員の動きも効率的になったということだと思われます。
ご利用者が増えて安定してきますと、新しいご利用者が加わっても新しいご利用者は古いご利用者の動きを見てそれに合わせるためか、開業当初のような忙しさは感じられません。
ご利用者の大多数は歌が好きなので、このデイサービスでは当初はラジカセ、のちに市販のカラオケセットを使用していました。そして現在ではカラオケボックスにあるような、業務用のカラオケの機械を使用しています。3時のおやつの後は、帰るまではカラオケタイムとなっています。
コストはかかりますが、何万曲もの歌がリクエスト可能なカラオケの機械は、今では欠かせないものになっています。この点でもデイサービスでのサービスは進歩していると感じています。
はずれ気味の方には歌手の歌入りの曲をかけることもできますし、カラオケの機械を使って何種類もの体操をテレビを見ながらできるようにもなっています
100歳過ぎまで通って来られる方の共通点
これまで18年間で1000人以上の人が通ってこられましたが、100歳以上の方も数人いらっしゃって懐かしく思い出します。
男性・女性とも100歳を超えた方には必ずと言っていいほど家族の厚い支えがありました。
女性の方は100歳を悠々と超えられたようにも見えますが、男性の方で100歳を超えるには、家族の方の十分な気配りや介護があったように感じています。
さらにご自分自身が健康に十分な気遣いをされていました。
肺炎で入院後に利用となった方は、今では普通になったマスクの着用を毎回欠かさず着用され、少しでも体調の悪い日には欠席されるなど、大変気を使われていました。
高齢になっても元気でいられるためには足が丈夫で、しっかり歩けることもまた大事なことだと思われます。
男の人はデイサービスに来られても、ほかの人とはあまりしゃべらなかったり、体操やレクリエーションへの参加をためらう人も多いのですが、百歳を超えるような方は概して気軽に参加したり、いろいろなことに興味を持ったりすることが多かったように思われます。